· 

「くらしの中の化学物質」をテーマに

 

「くらしの中の化学物質」をテーマに

 

私の「化学物質と環境」問題との関わりをふりかえる

 

原  強

 

最近、日本環境化学学会編『地球をめぐる不都合な物質』(講談社ブルーバックス)を手にし、いろいろな問題意識を持ちましたので、本紙でも「ブックガイド」で紹介させてもらいました。また、レイチェル・カーソン日本協会関西フォーラムの読書会のテキストにし、参加者と意見交換を行っています。

 

この本を手にし、いちばん考えさせられたのは、このところ、蛍光管の適正処理の課題との関係で水銀については追いかけてきたものの、「化学物質と環境汚染」について広い視野から十分フォローしてこなかったこと、その間にこの問題が「新たなステージ」にすすんでいたことです。すなわち、地球規模で拡散するPOPs(残留性有機汚染物質)の問題やマイクロプラスチックによる海洋汚染問題など、問題が国境を越えて地球規模の問題になっていること、その影響が世代をこえたものになっていることです。

 

このようなことに気づいたことから、京都循環経済研究所の調査研究テーマとしても、この問題をとりあげていくことにしますが、まずは手がかりとして私がこれまでこの問題にどのように関わってきたのかをふりかえることにしたいと思います。

 

 

 

1 1970年前後の公害問題のなかで

 

1970年前後、日本では、水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくなど、公害問題が全国各地で発生し、きれいな空気や安全な飲み水をもとめる運動、公害被害者を救済するための運動が取り組まれていました。カネミ油症事件など「食品公害」も発生しました。また、「近畿の水がめ・琵琶湖」を守る運動などがよびかけられていました。

 

このようななかで、1969年11月に開催された第1回京都消費者大会で森永ヒ素ミルク事件の追跡調査についての講演が行われました。私も一参加者として参加しましたが、人工甘味料チクロ追放の問題提起もふくめて、はじめて聞く食品公害や食の安全に関する問題はとても興味深く思ったものです。

 

前後して、私は大学生協の活動を通じて消費者運動に加わることになりました。この中で、洗剤問題、タール系色素などの「有害添加物」追放運動、トランス、絶縁体、ノーカーボン紙など広く使用されていたPCBの規制対策を求める活動に取組みました。

 

2 1980年代の輸入食品の農薬残留問題

 

1980年代になると、輸入食品が増加し、食の安全を求める運動もあらたな段階を迎えます。

 

国ごとに農薬の使用実態や食生活の違いがある中で、「グローバル化」の名のもとに食の安全基準の平準化がすすめられることについては、日本の消費者として受け入れがたいものでした。とくにアメリカからの牛肉・オレンジ等の市場開放を求める「外圧」のもと、日本の食品添加物の基準を緩和することについては全国の消費者の反対運動が取り組まれました。

 

アメリカをはじめ諸外国の農業現場の視察、輸入食品の水際での検査の実態調査などを通じて浮きぼりになった「ポストハーベスト農薬」をめぐる問題などがメディアでも相次ぎ取りあげられました。

 

私は、1986年から京都消費者団体連絡協議会事務局長になり、これらの輸入食品の安全に関わる問題について取り組むことになりました。

 

同時に、すぐに対処しなければならなかったのが、1986年4月26日におきたチェルノブイリ原発事故にともなう放射性物質の拡散による輸入食品汚染問題でした。

 

3 レイチェル・カーソンとの出会い

 

1986年5月、レイチェル・カーソン生誕80年事業準備会が開かれました。私もよびかけ人の一人としてその準備活動に参加しましたが、それ以来、レイチェル・カーソン日本協会の設立、会報の発行、各種行事の運営、スタディツアーの組織、生誕100年行事後分割・発足した関西フォーラムの運営など、今日まで、レイチェル・カーソンとの関わりが続いています。その経緯については何度ものべていますので、ここでは省略しますが、私にとってレイチェル・カーソンとの出会いはとても大きな転機であったということは強調しておきたいと思います。

 

レイチェル・カーソンの主たる著書である『沈黙の春』についての解説を繰り返す中で、「食物連鎖」「生物濃縮」という事象を「いのちの連鎖が毒の連鎖になる」と述べるなど、自分の思考構造が組み立てられ、「化学物質と環境汚染」について論ずる立脚点ができあがっていったように思います。

 

4 地球サミットへの「市民の提言」

 

1992年6月、リオで「地球サミット」が開かれました。これは1972年の「人間環境会議」以来の、さまざまな取組みを集約し、これからの地球的規模の環境問題について解決するための努力の方向を指し示したものといえます。

 

この「地球サミット」を前に、日本のNGO、市民団体などが「国連ブラジル会議市民連絡会」を組織し、日本の市民の「提言」をまとめ、日本政府に、また、「地球サミット」関係者に意見反映する取組みが準備されました。私も、この「提言」とりまとめのなかで「化学物質」作業部会の活動に加わり、「提言・有害化学物質による環境汚染をいかに防ぐか」の作成の「事務局」として役割を果たしました。

 

この作業のなかで、泉邦彦先生をはじめとした諸先生方からご指導をいただいたことはとても貴重な経験であり、今日につながるものであったといえます。

 

5 ダイオキシン、環境ホルモン問題

 

1990年代後半期はダイオキシン、環境ホルモン問題で文字通り「大騒ぎ」をした時期でした。このなかで、「ごみとダイオキシン」「食品とダイオキシン」という問題を消費者・市民の立場から追いかけました。

 

また、環境ホルモン問題でも、なかなか断定的に論じきれない問題をできるだけ公平にとりあげ、情報提供を継続しました。

 

この取組みのなかで「環境ホルモン問題に火をつけた」といわれる『奪われし未来』の著者のひとりであるダイアン・ダマノスキさんの講演会をレイチェル・カーソン日本協会として企画実施したことは忘れられないことです。

 

6 「化学物質リスク研究会」報告書の作成

 

いままでのべてきたことが総合化され、形になったのが「化学物質リスク研究会」の活動です。この研究会は「くらしと協同の研究所」の登録研究会としてできたものですが、「地球サミット」への「提言」とりまとめでお世話になった泉邦彦先生にご指導いただき、2003年、報告書をまとめ、その内容をもとにパンフレットを作成しました。さらに、その内容を普及するために「化学物質と環境」セミナーを開催し、その講義録を『くらしの中の化学物質』(かもがわ出版)として出版物にすることができました。

 

「化学物質リスク研究会」報告書は、今見直してもよくできていると思います。この報告書をあらためて見直し、今日的な課題解決の方向を見つけ出せたらと思っています。

 

7 蛍光管の適正処理と「水銀条約」

 

2003年10月、京都消費者団体連絡協議会がNPO法人化し、コンシューマーズ京都になりました。その活動のなかで家庭系有害廃棄物の適正処理、さらに蛍光管の適正処理の課題がうかびあがり、今日の蛍光管リサイクル協会につながる活動を継続的に進めてきました。いうまでもなく、この活動のなかでは水銀が焦点になりました。

 

2013年10月、「水銀に関する水俣条約」が採択され、これをうけて、蛍光管、乾電池、体温計、血圧計などを確実に回収し、適正処理をすすめるための取組みが始まっています。

 

 

 

これまで、私と「化学物質と環境」問題の関わりについてごく大づかみにふりかえってみましたが、以下、私なりに見えてきたこんごの調査研究の課題をあげておきます。

 

1 「化学物質リスク研究会」報告書を見直したとき、いま課題になることはないか

 

2 ダイオキシン、環境ホルモンに関する問題はその後どうなったのか

 

3 国境を越えて地球規模の問題になっており、その影響が世代をこえたものになっている問題について現状や課題を探ること

 

4 化学物質リスク削減と「予防原則」の考え方を再確認すること

 

これから来年度にかけて京都循環経済研究所の活動として「新たなステージ」にすすんだ「化学物質と環境汚染」の問題について調査研究をすすめることにしたいと思います。

 

 

 

<参考>

 

・地球サミットにむけての「提言・有害化学物質による環境汚染をいかに防ぐか」については「京都消団連ニュース」第42号(1991年11月1日)に収録されている。

 

・「化学物質リスク研究会」報告書は京都消費者団体連絡協議会の編集により「くらしの中の化学物質」というパンフレットとして発行された(2003年4月)。

 

・「化学物質と環境」セミナーは2003年6月から9月にかけて合計4回にわたって開催された。その成果が化学物質リスク研究会編『くらしの中の化学物質』としてかもがわ出版から出版された(2004年2月)。

 

・「化学物質リスク研究会」報告書は、立命館大学「現代環境論」のテキストとして編集出版された『現代環境論入門』(かもがわ出版)の「六 化学物質と環境汚染」の部分のベースになった。

 

・NPO法人コンシューマーズ京都の化学物質リスク削減をめざす取組みのレポートが「生活協同組合研究」NO365号(2006年6月)に掲載されている。