· 

獄中記

 

獄中記

 

緊急事態宣言――。多くの人が、新型コロナウイルスに取り囲まれ、「籠城」生活、あるいは「収容所」生活を送ることになった。各種行事の中止・延期の段階からマスクの強制、さらに外出自粛にいたるまで、先が読めないなかで「息苦しい」毎日になっている。「テレワーク」にも限界があり、手持ち無沙汰のなか、カミユの『ペスト』やジョゼ・サラマーゴの『白い闇』などを手にする人も多いようだ。かくいう私も、もともと「ひとり事務所」であり、来客がない、電話もかかってこない、メールも来ない、しばらく企画をたてるのもむつかしい、というなかで、連日、開講のめどがついていない授業の講義ノートの作成とともに、読書に多くの時間をさいている。

 

こんななかで佐藤優の『獄中記』(岩波現代文庫)を手にしている。

 

この本を手にするのははじめてではない。読みたいと思う本がなくなってしまったようなとき、この本を何度か手にしてきた。そのたびに刺激をうけ、あらたな指針を見定め、読書の幅を広げてきたものであるが、今回は格別で、自分が新型コロナウイルスに取り囲まれ、いわば「獄中」に置かれたようななかで、何をなすべきかを考えるのにとても役立った。

 

著者(以下、佐藤という)が獄中に置かれるに至った経緯は『国家の罠』(新潮文庫)で書かれているので、ここではふれない。佐藤は合計512日間、獄中生活を送っている。戦前の治安維持法で検挙された「思想犯」「政治犯」などのように拷問を受けるようなことはないが、取り調べ、さらに公判に至るまで、何をどのように供述するか、検察側との神経戦はたいへんな苦労があったものと思う。このなかで、実に多くの読書と思索を重ねているのである。

 

佐藤は『国家の罠』の「あとがき」で、「今から思えば五百十二日間の独房生活は、読書と思索にとって最良の環境だった。学術書を中心に二百二十冊を読み、思索ノートは六十二冊になった」という。驚きである。

 

いままで気づいていなかったことだが、「独房で所持できる書籍は三冊以内」とされているとのことである。自分なら何を持ちこむのかを考えるだけでも、しばらく興奮状態になる。

 

佐藤が手もとに置き、繰り返し読んだのは『聖書』、『太平記』、ヘーゲル『精神現象学』であったという。『聖書』は、佐藤が同志社大学神学部の出身で、現代プロテスタント神学に取組んでいることからいえば当然のことである。ヘーゲルの『精神現象学』も何となくわかる。意外だと思ったのが『太平記』である。分量が多いので、なかなか読み通せないものだからということもあるだろうが、佐藤が『太平記』に何を求めていたのかについてはひきつづき考えてみたい。

 

佐藤が獄中で読んだ学術書等のリストは『獄中記』の巻末に掲げられている。何度みてもすごいというしかない。頑張って追いついてみたいと思うものの、私の力ではとても及ばないといわざるをえない。

 

佐藤がこだわっていることに語学学習があったが、獄中でも数多くの辞書が読書の対象になっている。たとえば、『現代独和辞典』について「とりあえず通読し、神学・哲学用語を抜き出しておこう。辞典を読むなどという優雅なことができるのも拘置所にいる特権である」と述べている。また、同様に、高校の数学の教科書を系統的に読んで身に着けているのも興味深いことである。

 

新型コロナウイルスとのたたかいはいつまで続くのか。有効なワクチンの開発と治療薬の開発がいつになるのか。それまでは感染拡大防止と医療崩壊を防ぐことが最大の課題だという。人と会わない、交わらない、この「息苦しい」生活を、受動的に過ごすのではなく、「ポスト・コロナウイルス」の社会・経済のあり方を探るために、能動的に、有効に使いたい。普段できないことにじっくりととりくんでみたい。今回、佐藤の『獄中記』に学ぶのはこのことである。