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マックス・ウェーバー 没後100年

 

マックス・ウェーバー 没後100年

 

マックス・ウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』など数多くの著書を遺した。社会科学を学ぼうとすれば、かならず一度は手にするといわれるウェーバーだが、その著書を読み通し、理解することは容易ではない。

 

『職業としての学問』(岩波文庫)の訳者である尾高邦雄は「あとがき」で「こんど新しく訳し直してみていまさらのように感じることは、ウェーバーの文章―ここではかれの話し方―の異様なまでの複雑さである。話の内容自体は、きわめて個性的ではあるが、べつに難解でも異様でもない。問題は、その話の話し方、つまり表現方法にある。これは、この講演に限ったことではないが、ウェーバーの表現様式はけっして明快でも率直でもない」と指摘している。

 

だから、読み通すことができず、途中で手放してしまったことを正当化することはできないが、なかなかむつかしかったというのが筆者の苦い思い出でもある。

 

それでも、ウェーバーの文章に忘れることができないものがいくつもある。『職業としての政治』(岩波文庫)の最後の部分の「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。もしこの世の中で不可能事を目指して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能なことの達成も覚束ない」という言葉などはとても印象深いものである。「政治とは」を「人生とは」とよみかえると、立派な「人生訓」になる。

 

同著の「政治家と官吏」の関係について論じた部分で「政治指導者の行為は官吏とはまったく別の、それこそ正反対の責任の原則の下に立っている」「政治指導者、したがって国政指導者の名誉は、自分の行為の責任を自分一人で負うところにあり、この責任を拒否したり転嫁したりすることはできないし、また許されない」と指摘する。「心情倫理」と「責任倫理」についての論述をふくめて、責任ある政治家はいかにあるべきかという問いは、時代を越えて、現代にもそのまま通じるのではないか。

 

ところで、2020年はウェーバーの没後100年にあたるという。実は、このことはまったく意識していなかったが、5月の新刊で、今野元『マックス・ヴェーバー』(岩波新書)、野口雅弘『マックス・ウェーバー』(中公新書)が競うように出たことで気づかされた。

 

岩波新書によると、ウェーバーの最後について、つぎのように述べている。

 

「ヴェーバーは五月末に声がかすれ始め、六月三日・・・夕方ヴェーバーは悪寒を感じ、翌日高熱を発した。・・・六月九日からヴェーバーの精神錯乱が始まり、翌日の往診の際は、ヴェーバーは「フィガロの結婚」のアリアを歌いながら医師を迎えた。やがて錯乱が激しくなり、各国語で話し出すようになった。六月一一日夜半に最初の発作が起きて、二人の看護婦が呼ばれ、注射や酸素補給などが行われた。六月一四日に二度目の発作が起き、夕刻の雷雨のなかで、ヴェーバーは息を引き取った。享年五六歳。葬儀は六月一七日にミュンヒェン東墓地で行われ、遺体は火葬にされた。」

 

中公新書は、当時、パンデミック状態にあった「スペインかぜ」により急逝したのではないかと指摘する。

 

時は、第一次世界大戦が終了し、ドイツは激動の情勢下にあった。『職業としての政治』は、そのようななかで、学生たちに語りかけたものであったが、このなかで、「一〇年後にもう一度話し合おうではないか」といっている。もしも10年後、ウェーバーが生きていたら、大恐慌、そのなかからナチスが台頭してくる時代に、何を語りかけたのだろうか。

 

(注:マックス・ウェーバーはマックス・ヴェーバーとも表記している)