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ブックガイド 大島堅一『原発のコスト』

 

ブックガイド 大島堅一『原発のコスト』

 

2011年3月11日に発生した福島第一原発事故は、チェルノブイリ原発事故とならんで歴史に残る最大級の原発事故であった。いうまでもなく、この事故は東日本大震災と、それにともなう巨大津波に連動して発生したものであった。この事故を経験したことにより、原発の「安全神話」が崩壊するとともに、原発のコストが決して安いものでない、それ以上にもはや経済的に成り立たないものだという認識が広がった。

 

本書は、このようななかで、原発のコストについて本格的に論じ、「原発は安くない」との認識に具体的な根拠をあたえ、再生可能エネルギーの普及、脱原発の合理性を明確に示すものであった。

 

第1章「恐るべき原子力災害」では、原発事故の特徴、深刻な環境汚染のひろがりがとりあげられる。生態系の汚染、人体への影響とともに、人々の暮らしへの重大な影響などについて、執筆当時に把握できた原発事故被害の実態が示されている。

 

第2章「被害補償をどのようにすすめるべきか」では、このような事故被害の補償をめぐる問題点が示される。原発事故に備えるために準備されてきた損害賠償制度は巨額の損害賠償を前にしたとき、結局、役に立たなかった。本来であれば、東京電力が被害補償を行う責任があるはずだが、東京電力の経営破綻を回避するために、「原子力損害賠償支援機構」を作り、電力各社が必要経費を分担しあう仕組みが作られた。この制度のもとで、関西電力(その電力を購入する消費者)が毎年、315億円もの費用負担をしているのである。

 

第3章「原発は安くない」は、本書の肝心カナメの部分である。従来、原発のコストという場合、モデルプラントの運転コストのみを取り出して「安い」とされてきたのだが、「発電に直接要するコスト」以外にも「政策コスト」や「環境コスト」などを加えたものでなければならないとしている。また、「バックエンド費用」とよばれる使用済み核燃料の処理・処分コストなども含めるととても高いものになってしまうことを実証的に論じている。第2章の議論の対象になる損害賠償補償費用もいまなお膨れ上がっていく一方であるが、「バックエンド費用」も将来にわたってどれだけの費用負担が必要になるのかわからないというのが現実である。

 

第4章「原子力複合体と「安全神話」」では、あまりにも多くの問題をもつ原発が推進されてきた背景には、いわゆる「原子力村」という「政官財労学にメディアを巻き込んで形成されている一種の運命共同体的な利益集団」があったことを指摘する。脱原発のためには、この原子力複合体の解体が必要だとしている。

 

第5章「脱原発は可能だ」では国民の多くが望む脱原発の意思決定を行い、現実の政策として実行する場合の課題について論じている。原発が日本の社会に膨大なコストをかけさせていることを直視するならば、脱原発によってこれらのコストを回避することができる。また、節電・省エネエネルギーと再生可能エネルギーの普及によって脱原発を進めることは現実に実行可能だというのである。

 

本書の出版は2011年12月のことであり、その後の電力改革の進展、再生可能エネルギーの広がりなどの諸事情をふまえて加筆すべき論点が多数あるというものの、原発のコストを論ずるうえでは、議論の出発点で確認すべき論点が示されているもので、いまでも必読文献というべきものである。著者は環境経済学を専門分野にしている。環境経済学では、K・W・カップの『私的企業と社会的費用』以来、「社会的費用」の議論がされてきた。本書も、理論的には、この考え方をふまえたものであるが、著者が『再生可能エネルギーの政治経済学』などで丁寧に電力会社の費用分析を重ねてきた結果、そして「3・11」の経験と教訓をふまえるなかで到達したものであるといってよい。(岩波新書 2011年刊)