· 

リスクとつきあう

 

リスクとつきあうー「安全」と「安心」

 

現代社会は「リスク社会」だといわれますが、それでは「リスク」とはどのような概念なのでしょうか。同じように、現代社会では「安全」「安心」ということがよくいわれますが、「安全」と「安心」の意味は同じものなのでしょうか。みなさんはどのようにお考えになるでしょう。

 

これは「リスク社会論」の入り口で問われる問題です。なかなかうまく説明できない概念であり、その説明もさまざまにあってよいのですが、現代社会を考える手がかりとして何らかの共通の理解を持っておくことが必要になっています。

 

「リスク」という概念は20世紀後半に生み出された新しい概念です。「リスク」の定義という場合も、どこで、どんな場合に使用するのかによって、微妙にニュアンスが変わるということもありますが、最大公約数的な理解として

 

(リスク)=(被害の重大さ)×(発生の確率)

 

といった理解が広がってきたといえます。

 

「安全」と「安心」については、つぎのように説明されています。

 

「安全」=「危険でない状態。それは客観的に評価・確認できる」

 

「安心」=「安全と思うことができる状態。それは主観的なものであり、どの程度安全と思うことができるのかは個人ごとに違っている」

 

「安全」と「安心」の微妙な意味の違いにはぜひ注目してください。これは「リスク認知の個人差」ということにつながる問題です。ある人にとっては「安全」だと思えるし「安心できる」ことであっても、ある人にとっては「いくら安全だといわれても安心できない」ということが起きるのです。そして、このことは、「リスクとつきあう」ということにも関連し、どうすれば安心出来るのかということにもつながる問題なのです。

 

「リスクとつきあう」ということについて、それは実は「リスク情報とつきあう」ことだということも言われます。したがって、リスク情報に直面したとき、それはだれが発信したものか、それについて専門家は何といっているのか、メディアはどのように伝えているか、ということをよくつかみ、「うのみにしない」という姿勢が必要だということも強調されています。「情報リテラシー」「科学リテラシー」ということも論じられています。

 

最終的にはだれが、どのような基準で「リスクの選択・判断」をするのかという問題になるのです。個人のリスク対応はあくまで個人の責任で行う選択・判断になるわけですが、社会的なリスク対応になるとこのことはとても重要なことになります。そのとき、「リスクの選択・判断」をする立場にある人(組織)が信頼できるかどうかが問われるのです。

 

新型コロナウイルスの感染拡大のなかで、「リスク」概念の用例も多く、さまざまなことが論じられていますが、このような視点から問題を考えてみるのも有効なのではないでしょうか。