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環境政策の課題(3)原発政策のこれから

 

環境政策の課題(3)原発政策のこれから

 

「3・11」の経験と教訓

 

2011年3月11日、東北地方太平洋沖でマグニチュード9.0の巨大地震と、それにともなう大津波が発生しました。「東日本大震災」です。あれから10年になります。

 

この震災は「原発震災」とよばれてきました。福島第一原発で放射能拡散をともなう苛酷事故が発生しました。この事故は、チェルノブイリとならぶ歴史的な「巨大事故」となりました。

 

当時、これらの「原発震災」は「想定外」のことであったといわれましたが、「想定外」のことだったといえるのでしょうか。

 

原子炉のメルトダウンにともなう大量の放射能放出・拡散による地域への影響、さらに汚染水問題など、とても深刻な事態が続いています。「収束した」とはとてもいえない状況です。

 

原発と自然災害

 

「3・11」の経験が示すように、日本列島は地震列島であり、いつ巨大地震が起きてもおかしくないのです。「2030年までに巨大地震がくる」との警告もくりかえし出されています。原発立地と活断層の調査研究によっても、日本の場合、全国いたるところに活断層が走っており、原発が活断層の上に立地しているという事例も指摘されています。平常時、原発は安全に運転されるとしても、巨大地震に耐えられるのかという問題があるのです。

 

福島第一原発にしても、そもそも地震に耐えられなかったのか、地震には耐えられたが、大津波によって電源を失いメルトダウンしたのか、いまなお検証できていません。

 

また、地震の際の「揺れ」をどれだけのものと想定するのかが問われています。また、火山の噴火と原発の関係も問題視されるようになりました。

 

各地の原発関連訴訟で問題になっているように、原発の「安全運転」のためには「自然災害のリスク」をこれまで以上に大きく評価し、対策を取らねばならなくなっているのです。

 

「核のゴミ」の受入れ地について

 

原発に関する話題はつきることがありません。

 

このところ話題になったことでも、「核のゴミ」の受入れ地をめぐって議論が現在進行形です。

 

「核のゴミ」とは「使用済み核燃料」を再処理したあとの「高レベル放射性廃棄物」のことです。その保管の方法もまだ決まっていません。いま言われているのは、ガラスで固化し、地中深く保管するとのことですが、無害化するまでには10万年かかるというわけで、とても現実的なものとは思えません。

 

福島原発では放射能汚染水のやり場がなくて困り果て、海にながすということが話題になっています。地元の漁業関係者は「とんでもない」と反発しています。当然のことです。

 

核燃料サイクルは「夢物語」に

 

原発推進の論点として使用済み核燃料を再処理・再利用するという「核燃料サイクル」の主張がされてきました。しかし、「もんじゅ」計画の破たん、いまなお稼働の見込みがたたない六ヶ所村再処理施設など、「核燃料サイクル」の見込みはもてないままです。高レベルの放射性廃棄物の貯蔵管理施設についてもまったく見通しはありません。「原発はトイレなきマンション」とよく言われてきましたが、これらの問題が解決しないまま、原発を推進することはできません。

 

揺らぐ原発の「経済性」

 

原発については「安全性」をめぐる問題とともに、「経済性」をめぐる問題があります。

 

従来、「原発は安い」と強調されてきましたが、この間、「原発は決して安くない」「原発はもはや産業として成り立たない」などの指摘がされるようになりました。

 

すなわち、原発のコストについては発電コストだけではなく、バックエンド費用、廃炉費用、事故処理・補償費用、さらに肥大化する安全対策関連費用など総合的にコスト評価をしなければならないというわけです。核燃料サイクルの見通しがないなかで、そのための追加投資を続けている実態もみすごすわけにはいきません。

 

大島堅一『原発のコスト』は、これらの問題についてまとまった問題をなげかけたもので、原発の「経済性」について論じる場合、必読すべきものです。ただし、この本は「3・11」直後に執筆されたものであり、電力システム改革など、その後の動きをふくめて理解することが必要です。

 

「原発ゼロ」は実現できるのか

 

開発当初は「夢のエネルギー」として期待された原発でしたが、チェルノブイリ、「3・11」を経験したいま、原発の「安全神話」は崩れ、その「経済性」も大きく揺らいでいます。

 

このようななかで「脱原発」をもとめる声が高まっていますが、他方で「原発ゼロ」が本等に実現できるのかという声も根強くあり、日本のエネルギー政策の今後をどのように考えたらよいのかが問われています。

 

しかし、「3・11」の経験と教訓をふまえるならば、この際、「脱原発」に舵を切るべきではないでしょうか。あまりにも問題が多い、しかもコスト負担が大きく、電力事業経営そのものを成り立たないものにしてしまう原発から撤退することが必要だと思うのです。

 

これまでのエネルギー政策の転換にあたっても「政治決断」が決め手になってきたわけで、この際、「脱原発」の「政治決断」をすれば、新しい見通しが出てくるものと思います。