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斎藤幸平著『大洪水の前に』を読む

斎藤幸平著『大洪水の前に』を読む

 

本書はベルリン・フンボルト大学に2014年12月に提出された著者の博士論文とその英語版(2018年のドイッチャー記念賞の対象になった)を下敷きにしながら、その後に刊行された論文も加え、日本の読者向けに加筆・修正を行ったものです。全体の構成は、

 はじめに

第一部    経済学批判とエコロジー

第一章    労働の疎外から自然の疎外へ

第二章    物質代謝論の系譜学

第二部    『資本論』と物質代謝の亀裂

第三章    物質代謝論としての『資本論』

第四章    近代農業批判と抜粋ノート

第三部    晩期マルクスの物質代謝論へ

第五章    エコロジーノートと物質代謝論の新地平

第六章    利潤、弾力性、自然

第七章    マルクスとエンゲルスの知的関係とエコロジー

おわりに マルクスへ帰れ

というものです。

 

いうまでもなく著者・斎藤幸平は『人新世の「資本論」』の著者です。本書は著者のマルクス研究の「座標軸」を示したものであり、『人新世の「資本論」』は本書を踏み台に飛び立ったものであるといえます。したがって、本書は『人新世の「資本論」』を理解するためには是非とも読んでおきたい文献のひとつです。とはいえ、本書は、『人新世の「資本論」』同様、実際には読了すること自体容易ではありません。私自身、昨年秋に一読していたものを、今回、読み直しましたが、それで本書が理解できたとはとてもいいにくい状況にあります。

以下、私の学習ノートのつもりで、読後感を書き記しておきます。

 

まず、「マルクスの経済学批判の真の狙いは、エコロジーという視点を入れることなしには、正しく理解することが出来ない」との論点についてです。

『資本論』をはじめ、マルクスの理論体系となれば、経済学、哲学、社会主義論など、実に幅広いものです。その理論体系について、これまで環境問題についてほとんどとりあげていないとの評価がされがちでした。これについて、著者は「マルクスやエンゲルスが無制約的な経済・技術成長を盲目的に賛美しており、自然資源の枯渇や生態系の破壊といった環境問題について気にもとめていないと広く信じられている」が、マルクスは「物質代謝」という生理学的概念に着目しており、「その「撹乱」・「亀裂」を資本主義の矛盾として扱うようになっていく」なかで、人間と自然の統一性の再構築をポストキャピタリズムの実践的課題としていたというのです。とくに、『資本論』第一巻公刊後、マルクスは自然科学への研究に力を入れており、エコロジーを経済学体系に取り込むことで経済学批判の体系が出来上がると考えていたというのです。著者は、このことをマルクスの草稿、自然科学についての抜粋ノートを精査することを通じて論証していくのです。

著者は「マルクスの抜粋ノートという一般読者には馴染みもなければ、刊行もされていないような一次資料に着目する研究」ではあるものの、「マルクスの理論的意義を明らかにしたうえで、その思想を二一世紀の状況に合わせて批判的に継承していこうとするならばこうした研究は不可欠である」とのべています。

このマルクスの新解釈というべき視点はとても興味深いもので、『人新世の「資本論」』を読む場合も、大事にしたい視点です。

 

次に、マルクスとエンゲルスの知的関係についての解釈をめぐってです。

マルクスの理論体系ができあがるうえで、エンゲルスがはたした役割はとても大きなものであったということは一般的な認識でしょう。『資本論』にしても、第一巻はマルクス自身の手で公刊されましたが、現在、出回っている第二巻、第三巻は、未完成なまま残された草稿をもとにエンゲルスが仕上げたものとされています。また、マルクスは経済学の分野では優れていたが、自然科学の分野についてはエンゲルスの手助けを必要としていたとの認識も一般的なものでしょう。

しかし、著者によれば、この認識は修正されるべきだということになるのです。

『資本論』にしても「未完の体系」を「閉じた体系」にしたことの限界をはっきり認めなくてはならないというのです。また、エンゲルスは「物質代謝」についての認識は十分ではなかったので、マルクスが経済学批判の体系にエコロジーの視点を持ちこもうとしていたことが正しく受け止めきれずにいたというのです。

「エンゲルスは人間と自然のあいだで行われる「物質代謝」が資本による労働の形式的・実質的包摂を媒介として、どのように変容、そして再編成されるかという一八五〇年代以降のマルクスの経済学批判の方法論の根幹部をとらえきれなかったのだ。」

このような指摘については、従来考えたことがなく、驚きでした。しかし、こう考えることにより、新たなことが見えてくるというのも事実のようです。

 

最後に、「資本主義批判と環境批判を融合し、持続可能なポストキャピタリズムを構想したマルクスは不可欠な理論的参照軸として二一世紀に復権しようとしているのだ」という点についてです。現在、環境問題をはじめ、格差、貧困、人権、平和など、さまざまな視点からみて、資本主義という社会経済システムが行き詰まっていることは多くの人の実感しているところです。したがって、資本主義に代わる社会経済システムをめぐってさまざまな議論もされています。

このようなときだからこそ、著者は、「これは単なる個人のモラルに還元できる問題ではなく、むしろ、社会構造的問題である。それゆえ、世界規模の物質代謝の亀裂を復元しようとするなら、その試みは資本の価値増殖の論理と抵触せずにはいない。いまや、「大洪水」という破局がすべてを変えてしまうのを防ごうとするあらゆる取り組みが資本主義との対峙なしに実現されないことは明らかである。」というのです。そして、いまこそ「マルクスへ帰れ!」、二十一世紀に生きるマルクスがここにある、というのです。この視点も本書のポイントであり、学びたいところです。

 

著者は、この『大洪水の前に』を公刊したあと、『人新世の「資本論」』を準備します。

そこでは資本主義に代わる社会経済システムとして「脱成長型コミュニズム」の構想が示されます。そこに至るためには著者にとっても「脱成長」論の掘り下げが必要とされました。

 

また、本書では「おわりに」で「マルクスは自然の限界をはっきりと認識していたがゆえに、より注意深い自然の取り扱いを社会主義構想のなかではっきりと強調したのだった。それは自然を私的所有の制度から切り離し、コモンとして民主主義的に管理することにほかならない」とのべていることが力強く展開されることになるのです。      (堀之内出版 2019年)