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ブックガイド セルジュ・ラトゥーシュ著『脱成長』

ブックガイド セルジュ・ラトゥーシュ著『脱成長』

 

脱成長という用語をしばしば見かけるようになったが、その意味がよくわからないまま、その場を過ごしてしまうことが少なくない。本書は、この脱成長という用語の意味や背景を考えるうえで基本になるテキストだといってよい。

本書によれば、脱成長とは、景気後退やマイナス成長を意図したものでも、経済成長の対義語でもない。それは「政治的スローガン」であり、生産力至上主義の秩序に対する隷属と惰性化した合意を打ち破ることを目的としている。そして「これまでとは異なる社会――節度ある豊かな社会、「ポスト成長」社会、もしくは「経済成長なき繁栄」――を構築する企てである」という。

著者は、脱成長という用語の背景には、「技術と開発の批判の歴史と、エコロジー危機の意識化の歴史」があるとしている。そして、この用語が広く使用されるなかで、「発展途上国に対する生産力至上主義的な「開発主義」との決別、そして反開発運動とエコロジー運動の融合、これら二つの潮流は、持続可能な開発の欺瞞の声を無視できなくなり、支配的な社会モデルに代るこのオルタナティブ社会の企ての基礎となった」のであり、脱成長という語は、「生態学的にみても社会的にみても持続不可能な消費社会に代わる本当のオルタナティブの構築を望むすべての人々をつなげる合言葉となった」というのである。

本書では、「資本主義的生産に基づく経済の到達点」というべき現在の経済成長社会は「三つの無制限の上に成立している」という。「一つ目は際限のない生産、つまり再生可能および再生不可能な自然資源の際限のない収奪。二つ目は際限のない生産、つまり人工的で表面的な新しいニーズの際限のない創出。三つ目はゴミの際限ない生産、つまり大気・水・大地の際限のない汚染だ。これら三つの汚染の破滅的影響はますます顕在化している」という。

このような経済成長社会に対して、脱成長の提案が必要なのだとされる。

「脱成長はある一つのオルタナティブな道でなく、むしろオルタナティブの様々な可能性の母胎である。したがって、脱成長社会の「万能な」モデルを提案することはできない。生産力至上主義的ではない持続可能な社会の基礎を素描することができるだけだ。」

「節度を欠いた豊かな社会は、最大多数の人々にフラストレーションと節制を無理強いさせる。この偽りの豊かさに対して、脱成長は、自己抑制、分かち合い、贈与の精神、自立共生を基礎とする「節度ある豊かな社会」という社会構想を提案する。」

「脱成長は、既存の社会システム、すなわち経済成長社会との根本的な断絶を想定するという意味で革命的プロジェクトであるが、その目標は単なる政治的変革を大きく超えたところにある。・・・つまり、「節度ある豊かな社会」とか「経済成長なき繁栄」と呼ばれる文明の構築である。」

 訳者(中野佳裕)は、「あとがき」で、「当初、脱成長という言葉は「持続可能な開発」のもつ曖昧さを批判する目的で提案された。持続可能な開発はアクターの立場によって様々な解釈を許すプラスチック・ワードであり、グローバル企業の影響を受ける国際開発体制の意思決定の現場では、地球環境よりも経済成長の持続可能性を優先させる言説が常に主流となっている。この趨勢に対し、経済成長イデオロギーを打ち砕くスローガンとして脱成長は導入された」と、興味深いコメントをしている。

脱成長の提案をどのように受け止めるべきなのか、簡単ではない。

 

(白水社・文庫クセジュ 2020年刊)