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私の「現代環境論」第1部(2022年9月改訂版)

私の「現代環境論」(2022年9月改訂版)

原  強

<第1部>

1 20世紀文明と環境問題

環境問題のとらえ方は人さまざまです。私の場合、環境問題は「20世紀の負の遺産」という視座から論じてきました。20世紀は人類の歴史の中でも特異な時代だったといえます。

地球の歴史と人類のあゆみを振り返ると、地球の歴史は46億年、生命の歴史は40億年、人類の歴史は400万ないし500万年といわれてきました。そして、現在の人類の誕生は10数万年前のこととされています。アフリカの南東部を出発点に、中近東地域を経由し、時間をかけて地球上全体にひろがっていったと考えられています。

この間に、さまざまな文明の興亡がありましたが、なかでも狩猟採集経済から農耕文明への進展は文明史的な転換とされています。環境問題を論ずる人の中には農耕の始まりが環境破壊の始まりだと指摘する人もあります。

農耕を開始したことで食料を確保し、定住することができたことはとても重要なことでした。人口は増加し、生活度も向上し、各地でさまざまな文明を築いていったのです。しかし、人口の増加に見合う食糧・資源の確保が困難になると、周辺の文明との衝突もさけられなかったのです。

人類の歴史のなかで「産業革命」はもうひとつの重要な転換点になりました。「産業革命」は蒸気機関の発明など「技術革命」という側面が強調されますが、化石燃料を大量に使用する文明を招いたという点で「エネルギー革命」という側面も見落とせないでしょう。また、農地から切り離された都市労働者が大量に生み出されたことにともなう「社会革命」という側面もありました。

このような「産業革命」を踏み台にしてむかえた20世紀文明の特徴は、

1 科学技術の発展

2 化石燃料の大量使用

3 大量生産・大量消費・大量廃棄

4 限界を越えた成長

5 人口爆発

6 グローバル化の進展

などの特徴をもっていました。そして、このような20世紀文明のもとで、人間の生産・消費・廃棄の活動は急速に規模が拡大し、豊かな暮らしが実現されるとともに、他方で、環境問題が顕在化する時代になったのです。

環境問題が人類の未来を左右しかねないものだということをいちはやく指摘した2つの文献を紹介します。ひとつは、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』(1962)です。

『沈黙の春』の第2章の始まりの一節を引用しておきます。

「この地上に生命が誕生して以来、生命と環境という二つのものが、たがいに力を及ぼしながら、生命の歴史を織りなしてきた。といっても、たいてい環境のほうが、植物、動物の形態や習性をつくりあげてきた。地球が誕生してから過ぎ去ったときの流れを見渡しても、生物が環境を変えるという逆の力は、ごく小さなものにすぎない。だが、20世紀というわずかのあいだに、人間という一族が、おそるべき力を手に入れて、自然を変えようとしている。」

お気づきかもしれませんが、私の環境問題のとらえ方はこのような認識に基礎づけられています。

もうひとつが、ローマクラブがまとめた『成長の限界』(1972)です。

「世界人口、工業化、汚染、食糧生産、および資源の使用の現在の成長率が不変のまま続くならば、来るべき100年以内に地球の成長は限界点に達するであろう。」

人間活動の成長に限界があるという指摘は、日本でいえば高度経済成長がまさにピークをむかえ、直後の「石油ショック」で劇的な幕切れをむかえることになった時点で行われたものであり、各方面から注目されたものでした。

『沈黙の春』から60年、『成長の限界』から50年という現時点で、環境問題の基本的な構造をつかむために、あらためてそれぞれの指摘の意味を考え直す必要があるのではないでしょうか。

最近、「人新世(ひとしんせい)」ということがいわれるようになりました。この考え方をしめしたのは、ノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツエンで、彼は、2000年2月、「我々がいるのは完新世ではなく、人新世だ」とのべたといわれています。現在の環境問題につながる「負の遺産」が積み重なり、問題が顕在化してきた、この時期を、地球の歴史のなかでも「人新世」という特別な時代のはじまりだと認識することは大事にしたいと思います。

将来、人間がいなくなった地球の地層を調べることがあれば、大量のプラスチックや高レベルの放射性廃棄物がみつかるかもしれないという警告をどのようにうけとめたらよいのでしょうか。

2 公害から地球環境問題へ

日本では、環境問題の前に、公害問題がありました。

1950年代から60年代、水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくなど、公害問題が各地で発生しました。

高度経済成長の時代に、工場などから排出された有害物質のために、その周辺の住民の深刻な健康被害が発生したのです。多くの場合、企業の排気、排水などの対策が不十分であったためにおきた問題でした。被害を受けた住民が救済を求めて企業と交渉を重ね、さらには訴訟を通じて救済を求める事例も相継ぎました。

このようななかで、公害対策の整備が課題になり、公害対策基本法(1967)が制定され、さらに、1970年末からの「公害国会」において公害対策関連法がまとめて整備されました。「典型七公害」とされた大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、悪臭、振動、地盤沈下に関わる規制、対策がようやくはじまったのです。

また、これらの問題にあたる環境庁が設置されることになりました。

これによって、あらたな大規模な公害は抑えられるようになったとはいえ、被害者救済には長い道のりが必要だったのです。水俣病の場合をとっても、2004年10月の最高裁判決以後も被害救済をもとめて争いが続いています。

「公害は終わっていない」という認識を持ち続けることが必要です。

1980年代後半から1990年代にかけて、地球環境問題が焦点になりました。地球温暖化、フロンガスによるオゾン層の破壊、酸性雨、海洋・湖沼汚染、熱帯林の減少、砂漠化の進行、野生生物の減少、有害廃棄物の越境移動、途上国の公害問題などをめぐって、あいつぎ国際会議が開催され、情報の共有、問題解決のための国際的な共同の取組みの検討がされるようになりました。

なかでも1992年6月にリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(地球サミット)はターニングポイントになったといえます。この会合には政府代表だけでなく、企業代表、NGOや市民団体の代表があつまり、地球環境問題について意見交換を重ね、「気候変動枠組条約」「生物多様性条約」をはじめ、今日の地球環境問題に関する取組みの基本的な枠組みを作りあげたのです。

この議論のなかで共有されていったのがSustainable Development(持続可能な開発)概念です。これは1987年に環境と開発に関する世界委員会がまとめた報告書で示された概念です。この概念は「持続的な開発とは、将来の世代の欲求を充たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発をいう」と日本語訳されています。

この概念は、今日では2015年に国連が定めたSustainable Development Goals(持続可能な開発目標)として広く活用されています。

地球環境問題は、公害と比べて、発生源が特定できない、被害の広がりが地理的にも、時間的にも大きいという特質があります。なかには企業活動だけでなく、市民の消費生活行動のなかに原因がある問題もあり、対策としても特定の企業の活動を規制するだけでなく、市民の消費行動を変容しなければならないということもでてきます。

いずれにしても20世紀文明の負の遺産としての環境問題を解決しようとする場合、このような認識が必要になるのです。                         

3 気候変動(地球温暖化)問題

気候変動(地球温暖化)問題は地球環境問題の最大のテーマです。

気候変動(地球温暖化)問題を考えるポイントは、その原因とメカニズム、その影響、その対策、解決のための国際交渉、などです。それぞれについてさまざまな角度からの検討が必要ですが、ここでは、気候変動問題の科学、気候変動問題と政治ということで、まとめておきます。

<気候変動問題の科学>

気候変動の科学ということでは、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の活動についてのべなければなりません。IPCCは、環境と開発に関する世界委員会が報告書(1987)をまとめ、Sustainable Development概念を提唱し、また、気候変動対策が国際的な課題としてうかびあがるなかで設立されました。IPCCは世界気象機関(WMO)と国連環境計画(UNEP)により設立されたもので、各国政府から推薦された科学者があつまり、気候変動に関する科学的・技術的・社会経済的な評価を行い、得られた知見を政策決定者をはじめ、広く一般に利用してもらうことを役割としています。

IPCCは、この間、5回にわたり報告書を公表しています。それぞれが重要な政策決定につながってきたものです。

 第1次報告書(1990)

 第2次報告書(1995)

 第3次報告書(2001)

 第4次報告書(2007)

 第5次報告書(2014)

最新の報告書である第5次報告書では、

・人の排出する温室効果ガスが、地球温暖化の主因である可能性が極めて高い

・長期にわたり気候が変化し、社会と生態系に厳しく、取り戻せない悪影響が及ぶ可能性が増す

・21世紀末の平均気温は20世紀末より最大4.8℃高く、海面上昇は20㎝上昇する

・熱波や干ばつ、洪水の頻度が増し、食糧や水の不足、貧困、紛争を招く恐れがある

・現世代が努力しないと、「重荷を背負わされる」のは将来世代だ

などとのべています。

IPCCは、このあとさらに、気候変動による影響をおさえるために、気温上昇を1.5℃でとめなければならないということに焦点をあてて、「1.5℃特別レポート」(2018)を公表しています。さらに、2019年8月の「土地関係特別報告書」や2019年9月の「海洋氷雪圏特別報告書」などを発表しています。2019年5月には第49回総会を国立京都国際会館で開催し、パリ協定の実施に不可欠な各国の温室効果ガス排出量の算定方法に関する「2019年方法論報告書」(いわゆる「IPCC京都ガイドライン」)を採択しています。

 2021年8月、IPCC第6次評価報告書・第1作業部会報告書(自然科学的根拠)が公表されました。 報告書は、地球温暖化の科学的根拠をまとめたもので、「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない」とし、「向こう数十年の間に二酸化炭素及びその他の温室効果ガスの排出が大幅に減少しない限り、21世紀中に、地球温暖化は1.5及び2を超える」としています。

このあと公表された第2作業部会報告(影響・適応・脆弱性)、第3作業部会(気候変動の緩和)を統合し、最終的に2022年秋に第6次報告書としてまとめられるとのことです。

<気候変動問題と政治>

気候変動問題が国際政治の場でとりあげられるようになったのは1980年代後半からです。とくに、国連環境開発会議(地球サミット)(1992)では気候変動問題が議論の焦点になり、その議論は気候変動枠組条約につながったといえます。気候変動枠組条約は1994年に発効し、気候変動枠組条約締約国会議(COP)がスタートします(1995)。

第3回締約国会議(COP3)は1997年12月に京都で開催され、「京都議定書」が採択されます。しかし、当時の最大のCO2排出国であるアメリカが離脱するなかで、その発効は2005年までずれ込みました。それでも国際的に共同で目標を分かち合いCO2削減に向けた取組みが始まったことはとても重要なことでした。

2015年12月、COP21はパリで開催され、気候変動対策が緊急の課題になっていることを確認し、「パリ協定」を採択しました。

「パリ協定」は、

・世界全体の目標として、気温上昇を2℃より低く抑える、さらに1.5℃未満にむけて努力する、

・今世紀後半に温室効果ガスの排出と吸収を均衡させる

・各国の削減目標の作成・報告、その達成の国内対策を義務化する

・途上国への支援

・被害の軽減策を削減策と並ぶ柱にする

など、これまで以上に踏み込んだものになっています。しかし、これらの目標を達成したとしても気候変動が止められるかどうかという問題を抱えています。

2021年11月、イギリスのグラスゴーで開催されたCOP26では「1.5℃」を事実上世界の共通目標とし、削減目標の見直しをよびかけ、排出削減策のない石炭火力については段階的削減を求めるなど、いわゆる「グラスゴー気候合意」に達しています。

このようななかで、気候危機打開のためには、IPCC第6次報告書と「グラスゴー気候合意」を正面からうけとめることが必要になっているのです。なかでも具体的な取組みが求められるのが本格的なエネルギー政策の転換です。すなわち、省エネ・効率化を前提に、再生可能エネルギーの本格的活用にむかうことです。同時に重要なのは、そのなかで脱石炭・脱原発の決断が求められることです。

いまや「気候危機」の時代にはいったとの認識も広がっています。相次ぐ巨大台風、集中豪雨にともなう自然災害、記録的な猛暑や暖冬など、日本の現実を見ても、確実に気候変動は進行しているといわねばなりません。

残された時間は限られています。気候変動を抑えるために、脱炭素社会にむかって社会・経済全体が大きく転換することが求められています。

<日本もカーボンニュートラルを目標に>

このようななかで日本政府の取組みも「2050年カーボンニュートラル」を目標にしたものになりました。

2020年10月26日、菅総理(当時)は所信表明演説で「2050年カーボニュートラル」「脱炭素社会の実現」を宣言しました。これをうけて環境省の「脱炭素ポータル」に示されるような一連の取組みがすすめられました。

CO2の削減目標も2013年度比26%削減から46%削減へと引き上げられました。

具体的な取組みとしては、地球温暖化対策推進法の改正とそれをうけた具体定取組みの検討、カーボンニュートラルにともなう14分野のグリーン成長戦略の提示、「第6次エネルギー計画」の取りまとめなどが相次ぎ行われました。

菅内閣に代わった岸田内閣においても、これらの考え方や取組みが継承されています。

4 廃棄物処理から循環型社会形成へ

「ごみをみれば暮らしがわかる」といわれるように、廃棄物の排出実態は暮らしや経済の現実をリアルに反映します。

1950年代後半からはじまった高度経済成長のもとで、わが国の暮らしも経済も大きく様変わりしました。洗濯機、テレビ、冷蔵庫など、電化製品が暮らしの中に入ってきました。マイカーの普及にともない交通事情も変わりました。スーパーの進出により、対面形式の販売からセルフ方式の販売が一般化し、容器包装事情もすっかり変わりました。

このようななかで大量消費社会すなわち大量廃棄社会が形成されていったのです。ごみは増え、その質も変わっていきました。

高度経済成長のピーク時、1970年代の初め、東京をはじめ各地で増え続けるごみを処理できない事態に直面したといわれています。「分ければ資源、まぜればごみ」といわれはじめたのもこの時です。増加するごみを処理するためのごみ処理施設の新設が必要になった地域では、住民から反対の声が出されるなど、社会問題になった事例も生まれました。

1980年代後半から1990年代はじめまでの、いわゆる「バブル」期にも、ごみが急増し、その処理をめぐってどうするかがあらためて問題になりました。このなかからリサイクルをよびかける市民の活動が広がり、リサイクル事業者の活動も目立ち始めるのです。それは1992年の地球環境開発会議(地球サミット)を前にした環境問題のブームを支えるものでした。

(「ごみ問題」の構造)

 ここであらためて「ごみ問題」とは何かを考えてみます。「ごみ問題」とは、

1 ごみの量が増加し、ごみ処理施設(埋立施設、焼却施設)が限界に達する

2 ごみの質が変化、すなわち自然にかえらないプラスチックごみ等の増加等により、それらの適正処理が困難になり、環境汚染問題が発生する

という構造を持っていました。

このように考えると、「ごみ問題」の解決の方向として 

1 ごみ減量・リサイクル(再資源化)

2 ごみの適正処理

ということが必要になるわけです。

しかし、現実にまず問われたことは、リサイクルで「ごみ問題」が解決するのかということでした。市民が始めたリサイクル運動も理念や善意だけではどうしようもない事態に直面することになりました。牛乳パックのリサイクル、空き瓶回収など、始めたものの行き詰まってしまった事例は数多くあげられます。

少しリサイクルということについて踏み込んで考えてみますと、次のようなリサイクルの条件がそろわないとうまくいかないということがわかってくるのです。

1 対象になるものが大量にあること

2 対象になるものを集めることができること

3 リサイクル技術があるのか

4 再生品が商品になりうること

5 経済的に成り立つこと

結局、リサイクルができるものは限られており、「ごみ問題」の解決のためにはリサイクルからさかのぼってごみの発生抑制をはかるがどうしても必要だということがはっきりすることになりました。

このようななかで、循環型社会形成推進基本法が制定され(2000)、循環型社会形成を目標にした取組みとして「3R」(Reduce/Reuse/Recycle)という目標が示されるようになるのです。さらに、容器包装リサイクル法、家電リサイクル法、建設資材リサイクル法、食品リサイクル法などが制定され、循環型社会をめざす施策が動きだすのです。

その取組みがいかなるものであったのか、何が実現できたのか、あらためて考え、あらたな目標づくりが必要になっているといわねばなりません。

(廃棄物行政の課題)

日本の廃棄物行政の根拠法は廃棄物処理法です。廃棄物処理の現場の実務に関わる法律ですので、具体的な処理基準を示さなければならないため、条文も多く、何度も改正されています。また、それにともなう規則類も細かなルールを取り決めています。

この法律では、廃棄物を一般廃棄物と産業廃棄物に区分しています。そして、産業廃棄物を除く一般廃棄物についてその処理責任は市町村にあると規定されています。ですから、ごみ問題は身近な市町村の行政課題になるのです。そこでは、増え続ける廃棄物をめぐって、いかに「ごみ減量」対策をすすめるのか、ということが中心的な課題になっています。

市町村の「ごみ減量」対策としては、まず「資源ごみ」の分別・リサイクルの取組みが推進されてきました。各種リサイクル関連法の整備もこの取組みを後押ししてきました。続いて「有害ごみ」の適正処理のための分別もよびかけられてきました。

しかし、「ごみ減量」のための分別も、他方では収集運搬体制やコストに関わる問題になることもあり、実際には試行錯誤がくりかえされてきたともいえます。

このなかで「ごみ減量」対策のひとつとして「ごみ有料化」の問題が多くの市町村で浮かび上がりました。「ごみ有料化」については住民の中でも賛否が分かれる問題であり、どのように住民合意を形成するのかが問われた問題でした。この取組みを通じて廃棄物行政への市民参加の重要性も強調されてきたのです。

いずれにしても、廃棄物行政においても、排出された廃棄物をいかに処理するのかというところから、廃棄物そのものをいかに削減するか、廃棄物を資源としてどのように活かすのかというところに政策課題がすすんできていることをふまえて取組んでいくことが必要になっています。

そのために、循環型社会形成推進基本法のもとで、具体的な施策推進をめざして「循環型社会形成推進基本計画」が策定されています。

5 プラスチック問題を考える

プラスチック問題は、気候変動問題とならび、現代の環境問題でもっとも注目されているテーマです。

<プラスチック問題とは>

プラスチックは、20世紀後半以降、私たちの暮らしや社会にはいりこみ、豊かさや便利さを実感させる、まさに20世紀文明を象徴するものでした。

ところが、いまや、自然に還ることのない、すなわち完全に分解されることがないという特性をもつプラスチックごみが、地上にも、海にも、あふれかえっている現実に直面しているというわけです。一般廃棄物の処理責任をもつ市町村では、これらのプラスチックごみを処理しきれないでいる現実があります。

 プラスチック製品やプラスチック容器包材はごみ減量・適正処理をめざしてリサイクルの重点対象品目とされてきましたが、実際には資源として有効なリサイクルができずにいます。また、国内では処理できないものを発展途上国などに輸出し、現地の環境汚染につながるものもありました。

この間、中国がプラスチックごみの受入れを規制したのを前後して、海外輸出が困難になりはじめました。有害廃棄物の越境規制に関するバーゼル条約でもプラスチックごみが規制対象に追加され、プラスチックごみの回収強化、国内処理体制づくりが急務になっています。

<プラスチックによる海洋汚染>

 プラスチックの散乱ごみは、河川や湖に流れ込み、やがて海に流れこんでいます。その実態が海洋汚染問題として注目されるようになりました。

プラスチックごみによる海洋汚染問題は、従来から、環境NGOなどから指摘されてきた問題ですが、いまやこの問題は国内外の政治問題になっています。2016年1月の世界経済フォーラム(ダボス会議)で、「2050年までに海洋プラスチックごみの量が重量ベースで海の魚の量を上回る」との報告がされたのがきっかけになり、環境関連の国際会議での議論の焦点のひとつになっています。

 プラスチックによる環境汚染の実態がくわしく報告されるなかで、野生生物への深刻な影響が注目されるようになりました。異常死した野生生物の体内に大量のプラスチックが蓄積している実態が相次ぎ報告されてきました。また、マイクロプラスチックの場合、食物連鎖を通じて影響が広がっているともいわれています。有害性が問題にされている添加剤(ビスフェノールA、フタル酸エステルなど)の影響についても心配されるようになっています。「環境ホルモン」という言葉もあらためて目にするようになりました。

<プラスチック削減に向けて>

このようななかで、プラスチック削減の取組みが国内外で進み始めたのです。

2017年に開催された国連環境計画(UNEP)の意思決定機関である国連環境総会では「海洋プラスチックごみおよびマイクロプラスチック」に関する決議が採択されました。

日本政府は、2019年6月の「G20」での国際協議を前に、急きょ、「プラスチック資源循環戦略」の策定作業をすすめました。このなかで、プラスチック問題についての情報共有がすすんでいったといえます。

この「プラスチック資源循環戦略」が実際にどれだけ有効性を発揮し、プラスチック資源循環にむけて具体的な動きをつくりだしていけるかどうか注目されるなかで準備されてきたのが「プラスチック資源循環促進法」なのです。

プラスチック資源循環促進法は、2022年4月から施行されることになりました。

この法律では、プラスチック製品の生産から廃棄まで、それぞれの段階ごとに当面の対策をとりまとめたものになっています。

具体的には、

1 プラスチック使用製品設計指針と認定制度

2 特定プラスチック使用製品の使用の合理化

3 製造・販売事業者等による自主回収・再資源化

4 排出事業者による排出の抑制・再資源化等

5 市区町村によるプラスチック使用製品廃棄物の分別収集・再商品化

などの取組みがすすめられることになります。

 法施行を前に、「プラスチック資源循環促進法」のための特別サイトが立ち上がりました。

https://plastic-circulation.env.go.jp/

この特別サイトに新しい情報が順次追加掲載されていくことになりますので、注意する必要があります。

6 化学物質による環境汚染

20世紀文明は化学物質文明であったということができます。

20世紀、それもその後半、化学物質は大量に生産・消費・廃棄されてきました。それらはくらしに「便利さ」「快適さ」をもたらした反面、人間の健康障害、環境汚染を引き起こしてきました。私たちは、その「負の遺産」を背負っているといわねばなりません。

化学物質の毒性としては、一般毒性(急性・慢性)に加えて発がん性、変異毒性、生殖毒性など、特殊毒性といわれるものが注目されてきました。とくに重要なことは、これらの毒性の中にはごく微量でも回復不能な障害(とくに次世代への影響)を及ぼすおそれがあるとされることです。

(ダイオキシン)

有害な化学物質のなかでもっとも代表的なものがダイオキシンです。私たちはベトナム戦争時の「枯葉剤」大量散布による影響、とくに妊婦(胎児)への影響を知るなかで、ダイオキシンの有害性を認識しました。

日本で起きた問題としては、カネミ油症事件(1968)を通じてダイオキシン(PCB)の有害性をあらためて知ることになりました。この事件は、米ぬか油の製造過程で混入したダイオキシン(PCB)による食品公害事件ですが、世代をこえた健康障害を引き起こし、いまなお影響が及んでいるものです。

また、ごみ焼却の際にダイオキシンが発生するということが報じられるなかで、国・自治体をあげて緊急対策が取られたことも忘れることができません。当時、報じられたところによれば、わが国ではダイオキシンはその9割が身の回りのごみや産業廃棄物の焼却時に発生しているといわれました。緊急対策として、全国の市町村で小規模の焼却施設の運転中止や焼却施設の改修・置換えがすすめられました。

わが国においてダイオキシンの健康への影響を考える場合、大気や土壌から取りこむ量は限られており、食品、それも魚介類から多くを取り込んでいるとの実態が報告されたことも多くの人に不安を与えました。

その後、ダイオキシンの発生量も、人体への摂取量も、改善が進んでいることが明らかにされていますが、ひきつづき継続的な調査・情報収集が必要な問題です。

(「環境ホルモン」問題)

「環境ホルモン」とは、外因性内分泌攪乱化学物質のことです。すなわち、人間が外部から取りこむもので、内分泌のはたらきを攪乱し、それを通じてさまざまな健康障害をもたらすものとされています。この問題は、『奪われし未来』(1996)でとりあげられてから、一時、たいへんな社会問題になりました。

世論が沸騰するなかで、環境庁は1998年に緊急に「SPEED98」をまとめました。環境庁は、このレポートで「環境ホルモン」として疑われる物質を67品目とりあげました。多くは農薬・殺虫剤でしたが、ビスフェノールAなどプラスチックの可塑剤などもとりあげられました。あくまで「環境ホルモン」として疑われる物質ということでしたが、環境庁がリストアップしたということで社会的反響はとても大きかったのです。

結局、「SPEED98」は改訂され、それ以来、今日に至るまで、長期にわたり息長く情報収集、調査研究がすすめられている問題です。この中では、「予防原則」とリスク評価の問題が重要な論点になっています。

(重金属による環境汚染)

重金属による環境汚染という点では鉛やカドミウムなどの問題もありましたが、ここでは水銀にまつわる問題をとりあげます。

水銀は古くから最近にいたるまで、朱色の顔料、消毒剤、農薬、虫歯充填剤、蛍光管、乾電池、体温計、血圧計など、さまざまな場で使用されてきました。最近の統計では、農薬などの使用は限られており、蛍光管に使うものが多かったようです。蛍光管に水銀を使用していることはいまでも認知度の低い情報ですが、大事な情報です。

国際的には小規模金採掘現場の水銀使用が問題にされています。

水銀といえば水俣病といわれるように、水俣病の経験はまさに水銀によって悲惨な健康障害がひきおこされたものでした。石牟礼道子『苦海浄土』などが告発した水俣病の実態は忘れてはならない歴史的事実です。そして、いまなお「水俣は終わっていない」との訴えに耳を傾ける必要があるでしょう。

この経験と教訓を踏まえて、UNEP(国連環境計画)の場において水銀規制をめぐる動きが進展し、その動きは「水銀に関する水俣条約」(2013)の採択につながりました。

「水銀に関する水俣条約」をふまえた国内対策の整備もすすめられました。わが国では、工業プロセスでの使用はみられなくなっていましたので、焦点は水銀使用製品の回収・適正処理ということになりました。一般廃棄物対策としては蛍光管・乾電池の回収・適正処理とともに、水銀体温計、水銀血圧計の回収が課題になりました。産業廃棄物対策についても「ガイドライン」が示され、取組みがすすめられました。

(新たなステージをむかえた化学物質汚染)

化学物質は暮らしや経済にとって数知れぬメリットがあったといえますが、他方では、多くの問題を引き起こしてきたことを忘れてはなりません。そして、いままた新しい問題に直面しているのです。

化学物質による環境汚染は、日本環境化学会編『地球をめぐる不都合な物質』(2019)などが報告しているように、新たなステージを迎えたといえるようです。

すなわち、国境を越えて地球規模で拡散される残留性有機汚染物質(POPs)の問題、マイクロプラスチック汚染やPM2.5の越境汚染など、問題がグローバル化していることを認識しなければなりません。

また、世代を超える化学物質汚染という視点も重要です。カネミ油症事件におけるダオキシン(PCB)の経験、「胎児性水俣病」の教訓などを語り継いでいくことと同時に、被害者の「2世・3世」の健康診断や救済制度の検討を急ぐ必要があるでしょう。

7 人口・食料

(「人口爆発」の時代)

20世紀の特徴のひとつが「人口爆発」の時代だということはよく知られたことです。

人類はそのあゆみとともに人口を増加させてきました。その歴史をふりかえると、瞬間的に激減したこともありますが、基本的に増えつづけてきたのです。人口の増加は、食糧・エネルギーの需要を増加させ、そのバランスが崩れるとき、その文明は亡びることにもなりました。文明の興亡を決める一つの要素が人口の増加ということでした。

しかし、長い歴史を見渡した時、人口が増え続けたといってもごく限られたものでした。

局面が大きく変わったのが産業革命でした。産業革命後、人口は急速に増えはじめ、それとともに食糧・エネルギー問題もあらたな段階を迎えました。この流れをうけた20世紀は、ポール・エーリック『人口爆発』が象徴するように、「人口爆発」の時代であったのです。

世界の人口の推移の推移をみると、20世紀のはじまりは16億人、1950年は25億人、

20世紀末は63億人、そして、いまや約79億人に達しています。

世界の人口は、このままいくと、近い将来90億を超えるのでは、と見込まれています。英エコノミスト編集部『2050年の世界』によると、とくに人口増が目立つのはインド、アフリカなどだといわれています。これに対し、先進国は停滞傾向、高齢化傾向がみられるとのことです。 

各種の近未来予測が出されていますが、当分、世界の人口が増えるという点では一致していますが、人口増がいつまで続くのかとなると、見通しが分かれるようです。

最近、日本語訳が出たダリル・ブリッカーらの『2050年世界人口大減少』などは、書名のとおり、2050年くらいになると世界人口は減り始め、もとにはもどらなくなる、その予兆的な動きはすでに各地でみられる、と指摘しています。

このような人口増加(減少)と環境問題がどのような関わりをもつのか、さまざまな角度から考えてみる必要がありそうです。

(世界の食料問題)

食料問題もそのひとつです。増え続ける人口に見合った食料を確保できるのかどうかという問題です。

最近、食糧生産の制約要因が目立ってきたといわれています。すなわち、干ばつ、砂漠化の進行などにより生産適地が減少し、加えて気候変動の影響も現実のものになってきたというわけです。この間、「緑の革命」ともいわれましたが、農薬や化学肥料の多用によって生産力の向上をはかってきましたが、今後、これまでのようにはいかなくなっているといわれています。

他方で、世界で多くの人が飢餓で苦しんでいるといわれますが、この問題も簡単ではありません。絶対的に食料が足りないという見方があるいっぽう、食料があっても社会的・政治的な事情により食料が公平に配分されていないのが現実だという見方もあるのです。また、何らかの事情によって国際的な物流がストップした場合、国際的に食料価格が急騰することも考えられるとの指摘もあります。

最近では食料市場が一部の多国籍企業によって独占される傾向があるとの指摘も無視できないでしょう。

(日本の食料問題)

このようななかで、日本の食料問題に目を向けると、「食料自給率38%」の現実が見えてきます。これは、先進国の中でもとくに目立つ数字です。これでよいのか、どうしてこうなってしまったのか、今後どうするのか、よく考える必要があります。

ところで、食料自給率という場合、カロリーベースの数字で言われることが多いのです。38%というのもカロリーベースの数字です。食料自給率には金額ベースの数字もあります。また、いまではあまり使われませんが、穀物自給率という数字もあります。

いずれにしても日本の食料自給率は下がり続けてきました。1960年代のはじめには70%の食料自給利であったものが、いまや38%まで下がってしまったのです。農林水産省の政策目標では食料自給率の引上げが長年掲げられていますが、達成の見込みはほとんどありません。

このようななかで、農林水産業に未来があるのかというきびしい問いかけがされるにいたっています。

他方では、「食品ロス」の問題があります。まだ食べられる食品をごみにしてしまう「食品ロス」削減も緊急の課題だといえます。この問題はごみ問題でもありますが、食料問題という視点から見ても重要な問題だということができます。

(日本の人口問題)

世界の人口増加の流れのなかで、戦後、日本の人口も増え続けてきましたが、1億2800万人くらいをピークに人口減少の時代になったといわれています。まわりをみてもあきらかに少子化、高齢化が目立ちます。日本の人口減少の未来図も示されるようになりました。なぜ日本の人口は減少するのか、人口減少の先にあるのはどんな社会がまっているのか、人口減少と環境問題の関係はどうなるのか、など、検討すべき問題が数多くありそうです。

このような日本の人口減少の動きは、世界の人口の今後を考えるうえで一つのモデルになるともいわれています。

8 原発・エネルギー

開発当初は「夢のエネルギー」として期待された原発でしたが、チェルノブイリ、「3・11」を経験したいま、原発の「安全神話」は崩れ、その「経済性」も大きく揺らいでいます。このようななかで「脱原発」をもとめる声が高まっていますが、他方で「原発ゼロ」が本等に実現できるのかという声も根強くあり、日本のエネルギー政策の今後をどのように考えたらよいのかが問われています。

<日本のエネルギー政策と原発>

日本の高度経済成長期、石炭から石油へとエネルギー政策の転換が行われました。当時、炭鉱が次々閉鎖されるなかで労働争議が大きな問題にもなりました。

石油は日本の経済にとっても、国民の暮らしにとっても重要な基礎となり、高度経済成長を支えてきました。石油の大量消費のうえに、大量生産・大量消費・大量廃棄の暮らしや文化が展開されていきました。

ところが、1973年秋、「石油ショック」に直面しました。高度経済成長は終焉し、不況の中でもインフレがすすむというなかで、国民の暮らしも大きな影響を受けました。トイレットペーパーが店頭から消える、洗剤が消える、粉ミルクが消えるなど、生活用品の「物不足」も社会問題になりました。

このようななかで、エネルギー政策としては、石油代替エネルギーの確保と省エネ対策がもとめられました。また、供給対策の中心になったのが原発でした。近い将来、新しいエネルギー開発がすすむのだという希望を持ちながら、とりあえず原発の開発をすすめるという選択が行われたのです。その結果、せまい日本列島に50基をこえる原発が配置され、原発立地では原発が地域経済のカナメの位置を占めることにもなりました。電源構成のなかでの原発位置も大きくなっていきました。

1980年代後半から1990年代になると、チェルノブイリ原発事故(1986)を経験しながらも、地球温暖化対策が地球環境問題の焦点になるなかで、原発は「発電時にCO2を出さないクリーンなエネルギーだ」とのキャンペーンのもとに原発推進政策がすすめられました。

<「3・11」の経験と教訓>

2011年3月11日、東北地方太平洋沖でマグニチュード9.0の巨大地震と、それにともなう大津波が発生しました。「東日本大震災」です。

この震災は「原発震災」とよばれ、福島第一原発で放射能拡散をともなう苛酷事故が発生しました。この事故は、チェルノブイリとならぶ歴史的な「巨大事故」となりました。

当時、これらの「原発震災」は「想定外」のことであったといわれましたが、「想定外」のことだったといえるのでしょうか。

原子炉のメルトダウンにともなう大量の放射能放出・拡散による地域への影響、さらに汚染水問題など、とても深刻な事態が続いています。「収束した」とはとてもいえない状況です。いま、もう一度、巨大地震が来たらどうなるのか、本当に心配な状況が続いています。

<原発と自然災害>

「3・11」の経験が示すように、日本列島は地震列島であり、いつ巨大地震が起きてもおかしくないのです。「2030年までに巨大地震がくる」との警告もくりかえし出されています。原発立地と活断層の調査研究によっても、日本の場合、全国いたるところに活断層が走っており、原発が活断層の上に立地しているという事例も指摘されています。平常時、原発は安全に運転されるとしても、巨大地震に耐えられるのかという問題があるのです。

福島第一原発にしても、そもそも地震に耐えられなかったのか、地震には耐えられたが、大津波によって電源を失いメルトダウンしたのか、いまなお検証できていません。

また、地震だけではなく、火山の噴火と原発の関係も問題視されるようになりました。

原発推進のためには「自然災害のリスク」をこれまで以上に大きく評価し、対策を取らねばならなくなっているのです。

<核燃料サイクルは「夢物語」に>

原発推進の論点として使用済み核燃料を再処理・再利用するという「核燃料サイクル」の主張がされてきました。しかし、「もんじゅ」計画の破たん、いまなお稼働の見込みがたたない六ヶ所村再処理施設など、「核燃料サイクル」の見込みはもてないままです。高レベルの放射性廃棄物の貯蔵管理施設についてもまったく見通しはありません。「原発はトイレなきマンション」とよく言われてきましたが、これらの問題が解決しないまま、原発を推進することはできません。

<揺らぐ原発の「経済性」>

原発については「安全性」をめぐる問題とともに、「経済性」をめぐる問題があります。

従来、「原発は安い」と強調されてきましたが、この間、「原発は決して安くない」「原発はもはや産業として成り立たない」などの指摘がされるようになりました。

すなわち、原発のコストについては発電コストだけではなく、バックエンド費用、廃炉費用、事故処理・補償費用、さらに肥大化する安全対策関連費用など総合的にコスト評価をしなければならないというわけです。核燃料サイクルの見通しがないなかで、そのための追加投資を続けている実態もみすごすわけにはいきません。大島堅一著『原発のコスト』はこれらの問題についてまとまった問題をなげかけたもので、原発の「経済性」について論じる場合、必読すべきものです。ただし、この本は「3・11」直後に執筆されたものであり、電力システム改革など、その後の動きをふくめて理解することが必要です。

<原発はリスクが大きすぎる>

原発はあまりにリスクが大きすぎるものです。「発電時にCO2を出さない」という「メリット」

を求めることで、とりかえしのつかない巨大事故が起きるリスクに直面することなど、そのリスクを考慮すると、「脱原発」に向かうべきものです。

原発のリスクについて主な論点を列挙してみます。

●原発には平常運転時にも思いがけないことから「とりかえしのつかない巨大事故」が起きるリスクがある

●日本の原発は老朽化がすすんでおり、老朽原発を運転することにより事故につながるリスクが大きくなる

●地震や火山の噴火など自然災害の多い日本では、自然災害に連動して原発が事故を引き起こすリスクが大きい

●福島原発の事例からみても事故補償費用や事故収束・廃炉費用は巨額なものになる

●使用済み核燃料の処理の見通しがつかない

●原発は安全対策、バックエンド費用の増大により、コストが上昇し続ける

●避難計画がもてない原発は運転してはいけない

これらに加えて、原発は戦争・武力行使の際の標的になることがあるということを、今回、ロシアのウクライナへの軍事侵攻という事態を通じて学ぶことになりました。

ウクライナは、チェルノブイリ原発をふくめ、ヨーロッパのなかでも有数の「原発大国」です。軍事侵攻がはじまり、チェルノブイリ原発がロシア軍の支配下におかれたというニュースを聞いて驚かされました。それ以外の原発も標的にされました。まさに原発が稼働中の地域で戦争が行われているという現実は、実に恐るべきことです。

 このような事態を目の当たりにするとき、日本列島全体に原発が散在するわが国においても、絶対にあってはいけないことですが、原発がテロや戦争の標的になるリスクを想定しなければならないのです。

あまりにもリスクが大きい原発は、いわば「禁じ手」だという認識を持ち、気候変動対策やエネルギー政策を論ずる際、「原子力発電はいらない」との決断をするべきです。この決断があってこそ、本格的なエネルギーシフトが展開するのです。

<気候変動対策の基本は省エネの徹底と再生可能エネルギー>

気候変動対策の基本は、何といっても省エネの徹底と再生可能エネルギーの本格的な利用です。「脱原発」の決断をすることによって、このことが促進されるというべきなのです。逆に原発を維持・推進するならば、これがブレーキになってしまうのです。

省エネは、かつて日本のお家芸ともいわれたことです。あらためて省エネのために努力を行うべきです。一人一人の心がけということももちろん大事なのですが、あらゆる場において、あらゆる製品の設計段階から製造、流通、販売、使用、廃棄まで、社会経済システムとして省エネを徹底していくことが必要です。

たとえば、新築住宅については省エネ基準を徹底し、CO2を出さない住宅(ゼロ住宅)にしなければならないということを政策目標にすることは、その気になればできることです。

このようななかでエネルギーの使用総量を抑制することが可能になります。

他方で、再生可能エネルギーの本格的活用への取組みをすすめるべきです。再生可能エネルギーといえば、太陽光、太陽熱、風力、バイオマス、小水力、地熱など、さまざまな可能性があります。この間、再生可能エネルギー普及の取組がすすみ、「主力電源」として位置づけようとの動きも出てきました。

再生可能エネルギーをめぐっては、外部資本による大型開発によって自然環境が破壊される恐れがあるということも問題になっています。

このようななかで、再生可能エネルギーを活かす場合の視点として

●地域の住民主体の取組みか

●地域の資源を活かした取組みか

●地域経済の活性化につながる取組みか

ということが強調されるようになっています。

 また、最近、好天に恵まれ、太陽光発電の出力が高まる中で、全体の電力需給バランスを守るために、その出力を制御するということが報じられましたが、前向きな解決を望みたいことです。

 いずれにしても、「脱石炭」「脱原発」の政治的な決断があってこそ、省エネの徹底、再生可能エネルギーの本格的活用が前進するということを強調したいのです。

<脱炭素社会へ確かな道すじを>

気候変動対策はいよいよ急務になっています。そのためには、昨年秋のCOP26で確認された「グラスゴー気候合意」を正面からうけとめることが必要です。気温上昇は「1.5℃未満に」を共通目標に、「2050年カーボンニュートラル」をめざして2030年の削減目標をどこまで野心的なものにするのかが問われています。

このようななかで、産業構造の転換、社会経済システムの転換、資金の流れの転換など、脱炭素社会への確かな道すじを明確に指し示すことが必要です。そのなかで、脱石炭・脱原発の決断をもとにした本格的なエネルギーシフトをすすめていくことが求められているのです。